語学留学に興味のある方へ
- 仕事は好きだけど他の何かに挑戦してみたい
- 中国語が好きな人
- 中国語を勉強している人
- 中国に住んでみたいと思っている人
- 語学留学に興味のある方
こんな方はいませんか??
仕事を一通り覚えて一年目のような毎日が緊張という状況でなくなる
人生についてあれこれ考え始める人も多いのではないでしょうか?
日々の忙しさに忙殺されながらも
その忙しさが当たり前になってくると
“何か他の事がしたい”という気持ちが膨らんでくるのを感じることも…
看護師の仕事以外のことをしてみたいと考える人もいるかもしれませんね。

キノコ
私も20代は
夜勤のある勤務をしながら
習い事をしたり
資格勉強をしたり
色々なことに挑戦して
自分探しをしていたように思います。
そして看護師歴10年を終えて仕事を退職し
上海に語学留学しました。
31歳の時でした。
この記事では
私の上海語学留学の体験談を紹介します。
留学先を探して渡航するまでに私がしたこと
渡航後の留学生活について書いています。
これから留学したいと考えている方や
仕事を離れてチャレンジしてみたいという方の
参考になれば嬉しいです!
私の上海語学留学体験談
きっかけ
看護師として働いて10年目に、夫が仕事で上海に赴任することになりました。
夫の会社では海外赴任は家族同伴という決まりがありましたので、近い将来自分も上海に住むことが決定したのです。
そして
夫は一足先に上海へ出発し、私も職場に退職届を提出しました。
2011年3月のことでした。
それからロゼッタストーンを購入し
中国語の勉強を始めました。
その時中国語で知っている単語は
「你好」と「谢谢」だけでした。
中国に住むのだから中国語を勉強しないと!
と気合が入っていたのです。
留学先学校探し
退職して引っ越しの準備をしつつ、上海で語学留学ができる学校を探しました。
ビザのことも何もわかりませんでしたので
留学エージェントのお世話になりました。
留学先選びは
・滞在先からの通いやすさ
・校風
・日本人の割合
などの情報を比較し
上海華東師範大学を選びました。
大学は9月はじまりの2期制でしたので
9月の入学を目指して動きました。
留学の申し込みにテストはなく
エージェントを通して入学手続きとビザの手配をしてもらいました。
留学費用は半年で9,800元(約16万円)、それにビザ申請費用、エージェントの費用でした。
私の利用した留学エージェントでは
渡航までの間に中国語レッスンも受けられたので何度かエージェント会社に通いレッスンを受けました。
それでも中国語を勉強し始めたばかりの私は
簡単な単語を発音するのがやっとの状態でした。
担当の方が上海出身の方でしたので
現地の生活情報や美味しいレストランなどの情報も教えてもらいました。
いよいよ渡航

夫と2人で住んでいたアパートを引き払い
実家に引っ越しました。
私の実家と主人の実家に半分ずつ荷物を置かせてもらうことにしたので
段ボールの行き先は2カ所でした。
引っ越しの荷造りは大変でしたが
引っ越し業者の方がうまくやってくれたので助かりました。
突然大量の段ボールと嫁に行ったはずの娘が転がり込み
実家の両親もびっくりでしたが
久しぶりの実家生活は楽しいものでした。
4カ月の実家生活を終えて
2011年8月16日に私はスーツケース1つで上海に出発しました。
ビザは留学ビザでした。
初めての上海
夫が先に海外赴任していたので
そのマンションに潜り込む形で私の留学はスタートしました。
夫も慣れない海外の仕事で手いっぱいだったと思いますが
とても生き生きと仕事していて刺激を受けたのを覚えています。
そんなわけで
夫は平日夜まで仕事なので
言葉の通じない私の上海での生活がスタートしました。
街中では英語はほとんど通じませんせした。
そもそも私に英語力はありませんが…
最初、タクシーは怖くて
夫と一緒のときしか乗れませんでした。
上海には交通カードという、スイカのようなものがあります。
それを購入して地下鉄とバスで移動しました。
最初に
留学先の華東師範大学を見に行きました。
広くて緑も多く、歴史を感じる立派な建物がいくつもあって感動したのを覚えています。
困ったことは
食べ物が口に合わないことでした。
肉まんとパンくらいしか自分で食べられるものはないようでした…
夫がいるときは、日系の飲食店に行き日本食も食べることができたのですが。
でも最終的には一人でローカルのお店に入りチャーハンや麺を注文して食べられるようになりました!
そしてパクチーと黒酢が大好きになりました!
上海の留学生活

入学手続きの日、初めて大学に入りました。
大学のスタッフは中国語で指示していたので
手続きの仕方がさっぱりわかりませんでした。
そこで近くにいた日本人らしい女性に声をかけて教えてもらいました。
彼女は父親が中国人で少し中国語が話せたので、いろいろ教えてもらい友達になりました。
彼女は強化コースという留学生の中でもレベルの高いクラスの生徒でした。
入学手続きの日に、簡単な中国語の会話テストがあり、クラス分けされました。
もちろん私は
レベルの低いクラスからのスタートです。
1クラス20名ほどで3クラスありました。
その上のクラスも3クラスあり
強化コースと合わせて120人くらいの留学生がいました。
その1/3くらいが日本人と韓国人という感じでした。
学校の寮から通っている人も多かったです。
授業は月曜日から金曜日の
8時半から12時まででした。
授業はすべて中国語で行われました。
先生が何を言っているのかさっぱりわからず
最初は隣の席の日本人に聞いてばかりいました。
当時は、ケイタイにいい辞書機能がありませんでしたので、すぐに電子辞書を購入しました。
学校の授業は午前中まででしたので
午後は学校の図書館や近くのカフェでで勉強することが多かったです。
学校の図書館では本科生の大学生がたくさん勉強していました。
30歳を過ぎて大学生に交じって勉強できるなんて、「なんて幸せなんだろう」と思いました。
先生が言っていることがなんとなく理解できるようになったのは、1カ月ぐらいしてからでしょうか。
クラスに日本人と韓国人とマレーシア人のお友達ができたので、よく学校が終わってからローカルのお店で一緒に昼食を食べました。
学校の裏門から出るとすぐのところに何件か
ローカルのレストランがありました。
店の外に肉がぶら下げてあり、道端にプラスチックの椅子とテーブルのおいてあるような
ラフな雰囲気のお店でした。
当然私たちの共通言語は中国語でしたので
本当に本当にレベルの低い中国語で何とか意思疎通をはかり、会話をしていました。
不自由なのに
とても刺激的な楽しい時間でした。
教室で習ったことをアウトプットするいい機会でした。
本気で伝えたいと思うことで
脳がフル回転しているのがわかりました。
そんなわけで
中国語環境でのランチの後はヘトヘトでした。
彼らとの交流がなければ
中国語の勉強はもっとつまらないものだったと思うし、もしかしたら続かなかったかもしれないと思います。
留学延長
留学生活が半年になるころ
留学延長の手続きをしました。
クラスの半分くらいが延長して次のクラスに進みました。
私の中国語はというと
半年で短い文章を言えるようになり
よく使う300くらいの単語を覚えました。
そのころにはタクシーに乗って行き先を伝えることもできました。
夫と行ったことのあるお店に一人で行って
麺やチャーハンを注文して食べることもできるようになりました。
留学の後半は
一つ上のレベルのクラスでした。
華東師範大学は教育学部のある大学で
掲示板に本科生の生徒による家庭教師の応募がありましたので依頼しました。
とても可愛らしい19歳の教育学部の女生徒で
週に1回、1時間50元のレッスンでした。
フリートークのようにお互いの自己紹介し合ったり、授業や教科書で分からないことを教えてもらいました。
中国語でのやり取りはなかなか難しく
ノートに漢字で筆談することが多かったのを覚えています。
学校主催の旅行にも行きました。
バスで杭州へ行き、西湖や歴史的な建造物を見学しました。
一日中中国語を話すのはとても疲れましたが、その不自由さがみんなの絆を深めているようにも感じました。
HSK5級

留学生活が1年終わるころ
中国語検定HSK5級を受験しました。
「HSK5級は、2,500語程度の常用単語を習得し、新聞や雑誌を読めて映画やテレビ番組も理解でき、中国語でスピーチすることができる中級者レベル」とあります。
少し背伸びした目標ではありましたが
留学中の私はほとんど全部の時間を中国語の勉強に充てられましたので、HSK5級合格を目指して勉強を始めました。
まず過去問集を購入して繰り返しやりました。
一番大変だったのは、時間内に問題文をすべて読み終えることができないことでした。
中国語の長文を読むのはどうしても時間がかかってしまうのです。
問題を先に読んでから本文を読んだり、頭の中で日本語に変換しないように意識したり、あれこれやっている間に何とか時間内に問題をすべて解くことができるようになりました。
試験の申し込みは
インターネットで行いました。
試験会場を選べたので、自分の通う華東師範大学を選びました。
慣れた環境の方が安心して試験に臨めると思ったからです。
試験の合否は、自宅に送られてきました。
上海に語学留学して1年
私はHSK5級に合格しました。
卒業
留学生のほとんどが1年で留学を終了しました。私は他にやることもなかったのでもう一つ上のクラスで勉強を続けるという選択肢もあったのですが、今思えば燃え尽き症候群になっていたのでしょう。
中国語の勉強を一旦辞めたい気持ちになっていました。
1年間の留学生活は本当に楽しく、刺激的で、30過ぎて本気で勉強できるなんて
とても幸せな時間でした。
1年間の留学生活は幕を閉じました。
現地で働きながらHSK6級への挑戦
夫の上海での仕事は順調で、しばらく上海生活が続くことになりました。
留学を終えた私は、現地で中国語を活かして働くことにしました。
私が中国でしていた仕事は以下の3つです。
・日本向けクリニック
患者さんはほとんどが日本人で、そこで診療介助や案内の仕事をしていました。
日本人スタッフもいましたが、医師や看護師は中国人という環境でした。
・予約代行サービスの会社
日系の会社で、現地のレストランやゴルフ場の予約を代行する仕事でした。電話オペレーター業務です。スタッフはほとんど日本人でしたが、取引先とは中国語でやり取りしていました。
・物販の会社
アマゾンや楽天の商品を中国で仕入れて検品し出荷するという仕事でした。
オーナーは日本人ですが、スタッフは中国人が多かったのでここでも中国語のコミュニケーションが役立ちました。
そして現地で仕事をしながら勉強を続け、HSK6級に合格しました。
HSK6級は、HSKの中で最も高いレベルで、単語力は5,000語以上が必要とされます。
筆記もリスニングもグッと難しくなるので試験の為の勉強が必要でした。
いつのまにか「試験に合格することが目的」になっていたと思います。
中国語を学んでどう活かすのか
当時からもっとしっかり考えられていればよかったなと思います。
それでも
この肩書は今後も就職や転職の際に中国語を学んだ証明になってくれるものです。
勉強して本当に良かったと思っています。
そんな自分をときどき誇らしく思うのです(笑)
おわりに
以上が私の語学留学の体験談です。
10年以上前のことなので
今とは状況が異なることも多いと思いますが
留学を考えている方の参考になれば幸いです。
中国はコロナ感染以降停止されていた日本人国籍向け短期滞在ビザは、2024年11月30日以降再開されました。
また、2025年12月31日まではノービザで30日滞在することがでるようになりました。
これから語学留学をしてみたいと考えている方はチャンスです!
目標と計画を紙に書き出し
留学までにすることを1つ1つクリアして留学を目指してください。
その日が来たら、あなたも留学先の教室の席に座って中国語の授業を受けているでしょう。
また、語学留学が目的になってしまうと
留学期間が終わった時に燃え尽き症候群になってしまうこともあります。
私のようにならないためにも、語学を学んでその先それをどう活かすかも考えてみましょう。
勉強しながら考えてもいいと思います。
なぜなら中国語が話せるようになると見えてくる景色も変わるからです。
留学前は中国語環境での情報収集はとても大変です。
現地の状況やビザの状況も刻々と変化していますので
留学先探しやビザの取得をすべて任せられる留学エージェントの利用をお勧めします。
留学手配はお任せして渡航の準備や語学の勉強に集中できますよ。
あなたにぴったりの留学先が見つかりますように!

キノコ
今日から動き出しましょう!
きっと世界が広がりますよ。
頑張るあなたを応援しています!
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